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昨日の夕食<上海風洋食に挑戦!>

今日は、昨晩久しぶりにたっぷり眠って気分爽快。まだ元気があるのでもう一つ記事をエントリ−します。
昨晩、広岡今日子(王華)さん・榎本雄二さんの著書「時空旅行ガイド 大上海」に載っていた「上海のお
ばあちゃんがつくるボルシチレシピ」が気になって仕方がないので、ついに挑戦いたしました。
「ボルシチはママの味」というページでは、上海には租界時代から時代にもまれながらも、大切に守り続け
られて来た洋食文化があるという話が書かれています。
上海の家庭においては、「中には、80歳を超えた今も、ビスケットやパウンドケーキなどの洋菓子までを手
作りするというあっぱれなご婦人もいたが、一番多かったのはやはり、ボルシチとポテトサラダだった(同
書p130~133より引用)」そうです。
あらまあ、ハマッ子の祖母が、いつもパウンドケーキ(私が小さかった頃は、アイスクリームも)を作って
迎えてくれるのを思い出してしまいました。
ポークカツ(炸猪拝)も次いで多く作られたそうです。薄く伸ばした豚フィレ肉に塩・コショウ・紹興酒で
下味をつけるというところが、中国らしい!

というわけで、上海の洋食屋でそんなメニュウにありつけなかったので、こんなものでいいのか?まるで違
うのか?わからないのですが、本に習って作ってみたつもり。

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上海のポテトサラダには人参は入らないのかもしれない。でも、端切れが少し余っていたので入れてしまい
ました。刻んだリンゴだったらよかったかも。
紅腸(ホンチャン)と呼ばれるボロニアソーセージはないので、かわりに臘腸を使いました。本物の上海風
ポテトサラダがどんなふうかわからないのですが、臘腸で甘辛い中華風の香りが加わって、それはそれでお
いしかったのです。
豚フィレも、たまたま冷蔵庫にあったのでニンマリ。反省点は、パン粉をもっと細かくすればよかったか
な?という点。でも、これが!もう一枚、また一枚と食べてしまう危険な魅力。サクサク、幸せ。
そうそう、これには英国リー・ペリン社のものに似た、「上海辣醤油」(ウスターソース)というソースを
かけるそうです。が、台所にあったのはイカリソースの「辛口たまりソース」でした。次回はリー・ペリン
を使ってみよう〜〜。

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右の器が「上海風ボルシチ」。ビーツではなく、トマトを使い、牛肉の旨み、キャベツの甘み、生姜やネギ
などの薬味が渾然一体となって、懐かしい「ママの味」でした。

以前にむらじゅんこさんとお会いした時に、この「大上海」のボルシチのページ面白そうですね、作ってみ
たら...という話をしたのを思い出しました。試してみましたよー!
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by kadoorie-ave | 2007-01-29 00:29 | おいしいもの | Comments(12)

上海<山陰路(旧Scott Road)から魯迅公園へお散歩 その2>

山陰路の途中から、路地を左に曲がります。

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↑路地に積まれた果物がまぶしい。

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コロコロ輝いて、力強い果物たち。

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↑(左)通り沿いの家の二階の窓。こんな生き生きとした生活感も、大好き。
(右)勢い良く湯気を上げていた饅頭屋さん。蒸籠と蒸される小麦粉の生地の香りにそそられる♪

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↑ここは...魯迅公園(旧・虹口公園)前の通りに出たところにある商店の前にあった金魚。わぁあ!乗って
みたい!....と思ったら、壊れていて動きませんでした。う〜ん、残念。↓こんな勇姿をお見せしたかったの
にぃ!「イルカに乗った少年」(by城みちる@1973)じゃなくて、「金魚に乗った」...えーと....「おばさ
ん」!?...なんかヤだ。

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もうすぐ魯迅公園入り口です。
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by kadoorie-ave | 2007-01-28 23:01 | 散歩と旅・建物 | Comments(6)

上海<山陰路(旧Scott Road)から魯迅公園へお散歩 その1>

雑事に追われて落ち着かなかったのと、留青小築の記事までなんとか辿り着いてホッとしたのとで、だいぶ
間が空いてしまいました。
でも、ここからも楽しかった上海の記憶がまだまだあって、断続的にでも書いていきたいなと思います。
.......ド、ドウゾヨロシク.........。

さて、留青小築を出た私たちは、近くにある魯迅公園まで足を延ばすことにしました。徒歩で6、7分ほどの
距離。留青小築のある山陰路(旧Scott Road/施高塔路)を北に進みます。
秋の明るい日差し(10月でしたので)とプラタナスの葉の織りなす模様がまぶしい通り。
地図はこちら→(1)(2)

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↑ 山陰路の北に向かって右手の風景。光がさざめいてにぎやか。

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↑山陰路一体にはこんな色の建物が多いようです。

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どことなく、おとぎの国の家のようで、中をのぞき
たくなります。
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by kadoorie-ave | 2007-01-28 22:10 | 散歩と旅・建物 | Comments(6)

上海<祖父母の住んでいた家/留青小築 その2>

お正月に母や祖母に、この家の前で撮った写真を見せました。ドアの色はこんなだったかしら?こんな格子
だったかしら?なんだか雰囲気が違う?
そりゃそうでしょう。70年くらい経っているのですね。中は3層になっているようだな...と外から見て思い
ましたが、祖母は4層ではなかった?階段をトントンと上がるとこう、部屋があって面白い造りだったわ
ね...」と言います。祖母の思い違いなのかもしれませんが、でも、スキップフロア風になっていたのか
も?(祖母の記憶力は94歳の今でも恐ろしいほどなので...。)

「ねえ、路地の突き当たり、向うの建物(千愛里のことか?)との間に、大きな美しい藤棚はなかった?」
と、祖母と母。それはそれは、華やかで美しい藤棚があって、この建物を優雅に見せていたそうなのです。
「はて、奥に見えた建物との間には、ただの塀があっただけだったけど」と答えると「そ〜う.....」と僅か
にガッカリした表情。
奥の建物に祖父と仲のよい友人が住んでいて、ピューゥッと口笛の合図を送ると藤棚の下で待ち合わせてイ
ソイソと出かけたそうです。携帯のメールも便利ですが、なんだかそういうのは♪♪楽しそう♪♪ いい
なぁ。。。

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↑幼かった母の写真と同じ場所に座ってみました。

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↑祖母がとても気に入っていた、アマさんと、赤ん坊の叔父を抱く祖母。そして、あどけない母。
アマさんは以前も書きましたが、日本語ペラペラ、和食作りも上手、よく気がついてとてもよい人だったそ
うです。日本に一度も来たことがないというのに、すごいことです。
叔父は14年ほど前に亡くなりました。母も幼くてなんだか不思議な気がします。

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↑水遊びする母。
隣に住む白系ロシア人のおばあさんは、ゴミだか汚水だか忘れましたが、それを祖父母の部屋の前の植え込
みに捨てようとするので、家の中から咳払いをするとあわてて戻っていったのよ...と笑いながら祖母が話し
ていました。

ああ、この建物が残っていたことに感謝。案内してくれた骨董屋のおじさん、一緒に行ってくれたS藤Y一郎
さんとしのぶちゃん、鍵を開けて路地の中を見せてくれたおじさん....
みんなみんなありがとう!
この管理人のおじさんは、路地をまたがって干してある洗濯物(でかパンとか!)を、舞台の幕のよ
うにうやうやしく開けてくれたり、21號のドアを「ここだよっ!」と、まるで自分のことのように一緒に喜ん
でくれたりして、お茶目で優しい人でした。
今回の上海の旅。出会う人出会う人、いい人ばかりで信じられないくらい。つくづく私は幸せ者です。
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by kadoorie-ave | 2007-01-22 00:24 | 散歩と旅・建物 | Comments(14)

上海<祖父母の住んでいた家へ/留青小築>


f0063645_2253290.jpg骨董屋のおじさんに連れられて、四川北路から山陰路(旧・Scott
Road/施高塔路)に曲がると、そこが。
そう、ついに来ました!「留青小築」。
そもそも一度上海に行ってみたいと思っていたのは、祖父母や
母たちが暮らした住まいを訪ねてみたかったからでした。
路地に入って行きたいのですが、どの路地も塀と鉄の門ががっちり閉
まっていましたー!一つ一つ、オートロック式になっていて暗証番号
を押さないと門が開かない仕組み。

がーーーん!やっと上海に来たというのに、家のドアの前まで行かれないよ!
おじさんは、スタスタと歩道を行き、魯迅の故居のある一角に入っていきます。そこに、この辺り一帯の管
理事務所がありました。
おじさんに「さっき見せたお祖母さんの古い写真を」と促されて、あわてて鞄から1930年代に撮った留青
小築の写真を出しました。
事務所にいた人たちが集まって来て「おんなじだ。ほんとだ、留青小築だ!おおお」と部屋の中が賑やかに。
骨董屋さんはどうやら顔見知りのよう。「わかったか。そういうわけだから、この人たちに門の中を見
せてあげて」というと、私が「おじさん、謝謝!」と言うか言わないかのうちに、身を翻して立ち去ってし
まいました!「礼なんていいよ」と手をふりながら。(上の写真がおじさんの後ろ姿。)
おじさん、本当にありがとう。商売の邪魔をしちゃってごめんなさい!
...こうして骨董屋さんのおかげで管理人さんに、門の鍵を開けてもらえることになったのです。わぁぁい!


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f0063645_22534669.jpgドアに「21」と書かれた小さなプレートが。

↑留青小築は、日本人の建てたメゾネット式の洋風建築で何棟もの建物が並行に並んでいます。
最初に入ったのは、留青小築21號の裏側の通路。勝手口?

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表の玄関のある側の通路に行くために、一度表通りに出ました。
管理人さんの立っているのが、玄関のある側の通路入り口。
(つづく)

<参考>「上海"老洋房"行情水漲船高 7平米亭子間賣10萬」(sh.eastday.com 上海新聞2004.7.29)
>> 留下著名文人印跡

說是老洋房,但山陰路上的老洋房不是那種豪華的獨棟別墅,此種有別於石庫門的房子準確的名稱應稱為“新
式里弄住宅”,極似現今所稱的聯體別墅(或稱排屋)。

山陰路的老洋房之所以出名,主要是因為舊時一批著名的文人墨客曾寓居於此,包括魯迅、茅盾、馮雪峰等。
舊時日租界裏的公寓洋房多為留過西洋的日本人所建造,因此在建築風格上兼具日本與西洋之建築風格。這裡
的老式洋房環境幽靜,主房朝南,煤衛設備齊全,其外形參照西式公寓洋房,斜屋頂,老虎窗,但取消了石庫
門的高大門樓和天井四周的圍墻,而代之以小鐵門和半人多高的矮墻;天井改為小花園,頂層有圓弧形陽臺挑
出,大多為3層建築,層高3.6米左右。山陰路上的千愛裏、大陸新村,是其中的典型。

>> 相關鏈結:

解放前,山陰路叫做施高塔路。1949年改為山陰路。山陰者,紹興之別稱也,魯迅乃紹興人士,故施高塔
路被改為山陰路。魯迅曾住在大陸新村1弄9號(今山陰路156弄),茅盾曾租住過3弄9號和1弄6號。
大陸新村附近的一些弄堂有“松雲別墅”、“東照裏”、“文華別墅”、“留青小築”等。大陸新村的房租在當時就比
較貴,一幢三層樓房月租60元。(60元足夠當時普通之家一個月的日用開銷)。1946年5月,郭沫若
在搬進狄思威路(今溧陽路)719號(一棟兩層樓花園洋房)之前曾在施高塔路(今山陰路)恒豐裏77號
益群出版社暫住。黨的早期領導人瞿秋白在上世紀三十年代初參加“左聯”領導期間,就曾四次避難大陸新村魯
迅家中。
  直到今日,在山陰路上居住的居民中還能找到一些舊時代響噹噹的精英人物,如民革老前輩中共地下黨員
張唯一(93歲高齡)、李宗仁的秘書梁立言(現上海文史館館員)等等。
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by kadoorie-ave | 2007-01-19 23:57 | Comments(10)

白菜鍋<扁炉(ピェンロー)>


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さてと。一昨日作った鍋。今回は何かというと...

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ジャ〜ン!

「扁炉」(ピェンロー)です♪

上海滞在中、「李香蘭」出演の方々のお食事の一行にそうっと?混ぜていただいた時、終始穏やかな雰囲気
ながら、思いのほか真剣な目つきで味わっている姿が印象的だった石井英明さん。ブログ「オトナニナリタ
」に遊びに行ってみたら、1月12日のエントリー「食べる!」に美味しそうな鍋の写真が!
“妹尾河童さんの白菜鍋”で有名な「扁炉(ピェンロー)」のレシピだということでした。(そういえば昔、
妹尾さんの本で見たような気もするけど...忘却の彼方...)
作り方はシンプルだし、家にある材料で出来るし。その日の気分と都合にぴったり。

すぐに作ってみました。豚肉は大きな塊肉しかなかったけれど、中華包丁でスライス。中華包丁はね、いい
ですよ〜。気持ちよ〜く切れるのが愉しくて、まな板に向かって笑ってしまう。フッフッフ...。
それに、この山形の平田牧場の豚肉は甘いような香ばしいような旨みがあって、いつだって私を幸せにして
くれるんですよぅ。ウットリ....。
鶏もも肉はもちろん。さらに骨からの出汁もほしくて、手羽元も仲間に入れました。
干ししいたけは常時冷蔵庫のタッパーの中で水に浸って、スタンバイ状態。はぁい出ておいでぇ♪
あとは春雨加えてコトコトコト...。

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味付けは、とりあえずこのでいいかな。
腐乳をスープに溶いたのもおいしいかもと思い用意。
一味唐辛子がないので、先日鹿児島のレイコさんからいただ
いた「ひらめき」を。鹿児島名物小みかんの香りが辛さに爽
やかさを添えて、クセになるんです〜。
もしかして四川の豆板醤もいいかも...と、並べてみました。

はい。石井さんの仰る通り、誰にでも旨く作れました!誤っ
て食べ過ぎました。。。ちゃんと雑炊もこのスープで作りま
したとも。で、動きたくなくなりました。。。
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by kadoorie-ave | 2007-01-15 03:09 | おいしいもの | Comments(25)

上海<多倫路から四川北路へ出る>

(前回のエントリーのGoogle Earthの空から写真をご参照ください〜)
多倫路(Darroch Road)から骨董屋さんに連れられて旧・知恩院(3)のある角まで出ました。四川北
路(旧・北四川路)大きな交差点。斜め前左手に見えたのが、本や資料で見慣れたこの建物。

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現在は交通銀行の入っている建物
ですが、‘30年代に暮らした日本人
にはおなじみの場所です。
Google Earthの写真では(4)に
見えるのがそれ。

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当時とほとんど変わっていません。
ここは旧・陸戦隊本部。
日本軍の拠点となった場所です。

建物の姿が見えたとき思わず「あ!リクセンタイ!」と言うと、中国語しか解さないおじさんでもすぐに
わかって、敬礼をしてみせてくれました。
「日本兵が入り口に立っていて、いつもこんなふうにしていたよ」と。子どもだったこの人は、どんな思い
で日本人たちを眺めていたのだろうかと思います。

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さて、この角を大きく右に曲がります。
参考までに、すぐ上の地図↑で赤い線でなぞってあるのが「現・四川北路(旧・北四川路)」です。当時は
日本人租界の繁華街でした。東洋のパリ、という雰囲気ではなく、今でもどこか一昔前の日本の通りの趣き
が感じられます。緑の×印が、陸戦隊本部の建物の位置。

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昔の北四川路のようす。

Google Earthの写真にある白字の※印の建物は、当時ラモス・アパートと呼ばれ、魯迅も1930〜33年に住
んでいました。現・北川公寓。
その少し先、通りの向かい側にある(5)は内山書店があったところ。現在は工商銀行になっていますが、
壁には魯迅と内山完造のレリーフがあり、建物二階には内山完造についての展示室もあるようです。

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さあ、そのすぐ先が目指す「留青小築」のはずです♪
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by kadoorie-ave | 2007-01-14 22:48 | 散歩と旅・建物 | Comments(8)

復活。上海<四川北路より、虹口(旧日本租界)へ>

さて、やっと上海の報告の続きです。
豫園を超特急で見た私は、午後は撮影がオフの川俣しのぶちゃんとS藤Y一郎さんと合流。この日は私の虹口
散歩に付き合ってくださるということで。
私の虹口散歩には目的があります。祖父母や幼かった母・叔父が1930年代に約10年間、上海に住んでいま
した。その当時の場所が、まだ残っているようなので訪ねてみたかったのです。祖母は元気ではあるのです
が、とりあえず私がそこに行って写真でも撮って来てあげようと思っていました。

まずはしのぶちゃんたちと地下鉄で合流し、一緒に明珠線で東方興路駅で下車。(途中地下鉄内でY一郎さ
んのカメラがスラれるというハプニングが...。ちょっとショック。Y一郎さんは「あ、大丈夫ですよ」なん
て言うのだが。。。)

<多倫路>
テクテク歩いてよく観光ガイドにもよく出ている「多倫路」へ。この周辺は、魯迅ほか日本留学体験のある
知識人が多く住んでいた地域で、魯迅らと交流の厚かった内山完造の内山書店もこのそばにある。多倫路は
そんな歴史を踏まえてテーマパークのように整備されているのです。少々白けた雰囲気はあるものの、静か
に散策できる通り。


f0063645_1164179.jpg三人でここにある「OLD FILM CAFE」のテラスで腹ごしらえ。すぐ後ろに
チャップリンの銅像があるのでした。それから。Y一郎さんの後ろにいたオー
ストラリアからの旅者の女の子二人が、なんとかY一郎さんと話そうとトキメ
いた視線を送ってきて、はしゃいでいて可愛かったです。そんなのはいつもの
ことなのかニコッと会釈しただけでY一郎氏は意に介さないのですが。思えば
いかにも女の子から好感を持たれそうな、感じの良い人でありました。

さて、プラプラと歩いていたら気になる骨董屋(というよりジャンク屋さん?)を見つけて見学。欲しかっ
たものは結局高すぎて買えなかったのですが。
店のご主人に1930年代の留青小築での写真と、「上海歴史ガイドマップ」を見せながら「ここを知ってい
ますか?」と身振りで聞くと「おおお、すごいな。あなたはここへの行き方を知っているのか?」と興奮の
ご様子。「連れて行ってあげよう」ということになりました。
↓これは多倫路から留青小築、魯迅公園へと歩いた道です。

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白い文字、DARROCH ROADというのは戦前の多倫路の名前。
1)がOLD FILM CAFEのあった辺り。
2)の辺りに、その骨董(ジャンク)屋があった。
3)の斜線の○にあるのがコレ↓。元「浄土宗 知恩院」です。後に孔祥煕が買い取って住まいにしたそうで
す。なんともエキゾチックなお寺。母はこの知恩院がやっていた幼稚園に通っていたそうです。

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つづく・・・
<参考>
曾祖父たち<白鳥芝朗と宮本臨三郎>
上海/施高塔路(Scott Road)の祖父母たち
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by kadoorie-ave | 2007-01-14 01:33 | 散歩と旅・建物 | Comments(0)

ここでちょっとお休みね...♪

なぁんて言っている場合ではないのですが、風邪にて全身ショボショボ中。素早い回復を望む!
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by kadoorie-ave | 2007-01-10 18:40 | Comments(26)

今頃になってナンですが....「お雑煮」のこと。

実は昨年12月末に、MyPlaceの玉井さんから、このようなおさそいをいただきました。
「みなさんご自身のブログで『わがやのお雑煮』とその地方ご家族の出身地についての説明を加えてエント
リーし、ブログ上の新年会にしましょう。」
年末から新年にかけて、仕事も私事もなんだか収拾のつかなくなるほどの忙しさ。今年は落ち着いてお正月
を迎えるゆとりがなさそう...というわけで、参加表明しそびれたままになっていました。(玉井さん、皆々
様スミマセン。)
それでも、お雑煮を作らないというのも落ち着かず、ブログに載せても載せなくても、結局作ってしまうの
ですが。

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私のお雑煮は、何の変哲もない「関東のお雑煮」なのではないかと思います。
鰹節と昆布でだしをとったお澄ましで、焼いた角餅(焼いた香ばしい香りが、私のお正月には必要)、短冊
に切った大根(元神奈川県民としては、ここは三浦大根を使うのであります)。
青菜は小松菜。普段小松菜の香りをそれほど意識しないのですが、お雑煮に加わった時はなんともいえない
風味で欠かせません。東京名産小松菜。
そして鶏肉。鶏が加わると、どこかスープのようなコクが出ますよね。
それに必ずではありませんが、小芋を加えます。芋類が入るとホッとします。
仕上げに三つ葉、そしてゆず。ここでは忘れていましたが、かまぼこもちょこんとのせます。あ、絹サヤも。

母方は曾祖父の代から横浜に住んでいました。生活の舞台は横浜ー東京辺りです。
母方の祖母の両親(=曾祖父母)は静岡出身です。

そういえば、今日お会いした出版社のTさんから、香川のお雑煮は白みそ仕立てで、あんこの入った丸餅が
入っているのだと伺いました。
おもしろそうなので検索しましたら、作り方も丁寧に説明してありました。
香川県の雑煮

MyPlace「わがやのお雑煮大会」をご覧ください。
その前後のエントリーにもお雑煮の興味深い記事があります。
............................................................................................................................
さてさて、次回あたりから、また上海の報告の続きをエントリーしなくっちゃ。
旧日本人租界のあった地域を散歩します。
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by kadoorie-ave | 2007-01-06 21:03 | おいしいもの | Comments(18)