人気ブログランキング | 話題のタグを見る

上海<多倫路から四川北路へ出る>

(前回のエントリーのGoogle Earthの空から写真をご参照ください〜)
多倫路(Darroch Road)から骨董屋さんに連れられて旧・知恩院(3)のある角まで出ました。四川北
路(旧・北四川路)大きな交差点。斜め前左手に見えたのが、本や資料で見慣れたこの建物。

上海<多倫路から四川北路へ出る>_f0063645_21314033.jpg
現在は交通銀行の入っている建物
ですが、‘30年代に暮らした日本人
にはおなじみの場所です。
Google Earthの写真では(4)に
見えるのがそれ。

上海<多倫路から四川北路へ出る>_f0063645_21315827.jpg
当時とほとんど変わっていません。
ここは旧・陸戦隊本部。
日本軍の拠点となった場所です。

建物の姿が見えたとき思わず「あ!リクセンタイ!」と言うと、中国語しか解さないおじさんでもすぐに
わかって、敬礼をしてみせてくれました。
「日本兵が入り口に立っていて、いつもこんなふうにしていたよ」と。子どもだったこの人は、どんな思い
で日本人たちを眺めていたのだろうかと思います。

上海<多倫路から四川北路へ出る>_f0063645_21371482.jpg 上海<多倫路から四川北路へ出る>_f0063645_22185912.jpg


さて、この角を大きく右に曲がります。
参考までに、すぐ上の地図↑で赤い線でなぞってあるのが「現・四川北路(旧・北四川路)」です。当時は
日本人租界の繁華街でした。東洋のパリ、という雰囲気ではなく、今でもどこか一昔前の日本の通りの趣き
が感じられます。緑の×印が、陸戦隊本部の建物の位置。

上海<多倫路から四川北路へ出る>_f0063645_22282666.jpg
昔の北四川路のようす。

Google Earthの写真にある白字の※印の建物は、当時ラモス・アパートと呼ばれ、魯迅も1930〜33年に住
んでいました。現・北川公寓。
その少し先、通りの向かい側にある(5)は内山書店があったところ。現在は工商銀行になっていますが、
壁には魯迅と内山完造のレリーフがあり、建物二階には内山完造についての展示室もあるようです。

上海<多倫路から四川北路へ出る>_f0063645_22475683.jpg
さあ、そのすぐ先が目指す「留青小築」のはずです♪
by kadoorie-ave | 2007-01-14 22:48 | 散歩と旅・建物
<< 白菜鍋<扁炉(ピェンロー)> 復活。上海<四川北路より、虹口... >>