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曾祖父たち<白鳥芝朗と宮本臨三郎>

香港好きになったきっかけとして、昨日レスリー・チャン(張國榮/Leslie Cheung)を
ご紹介しました。
レスリーの存在に引っぱられるようにして初めて香港を訪れたのは、ついこの間....中国返還後。
沢山のものが小ギレイに新しくなり、空港も街中にスリル満点でドスンと降りていたていた啓
徳空港ではなくなっていました。広々としたチェクラップコク/香港国際空港。
それでも、初めてスターフェリーに乗った時には、なんともいえない懐かしい気持ちになり
ました。「ああ、ここは昔の横浜港と中華街を合わせて、ココナッツミルクを流し込んだ
ようなかんじの場所だったんだ...」
海の色が横浜と違う。でも、活発に行き交う小船がなつかしく、頭ではわかっていたつもりでも
そこに立って初めて「香港」が「港」だったと本当に理解した次第。

そして香港に惹かれるのには、自分の中に元々下地があったことに気付いたのでした。

私の母方の曾祖父は、祖父の父も祖母の父も船乗りです。まだきちんと調べていませんが、
多分1920〜30年代には客船の船長、機関長として欧州航路、北太平洋航路など当時の有
名な客船は大抵乗っていると明治45年生まれの祖母が言っていました。
祖父は機関長・宮本臨三郎(←もしかして字が違うかも)の息子で、三高時代はボート部に所
属、大学院卒業後は船乗りではありませんが、同様に日本郵船の社員になりました。
祖母は船長・白鳥芝朗の長女で、華やかな娘時代を送ったようです。
やがて結婚した祖父母が1930年代に10年近く住んでいたのが「上海」。
虹口の施高塔路(Scott Road)=現在は山陰路にある「留青小築」21號というのが当時の住まい。
朝、家の前に車(人力車ですね?きっと)が迎えにきて、外灘(バンド)にある日本郵船に通っていました。

戦時中、横浜の家は焼夷弾の直撃を受け何もかもが焼けてしまいましたが、たった一冊、
祖父が日本郵船のロッカーに入れていて助かったアルバムがあります。そこに、唯一の曾祖父
の肖像写真が残っていました。


曾祖父たち<白鳥芝朗と宮本臨三郎>_f0063645_16282421.jpg
絵はがき仕立ての写真を裏返したところ
こんな住所が出てきました。
PHOTO,JOS,DELVILLE
95 RUE DES PEIGNES
—ANVERS—
...フランスでしょうか???
※追記:にむらじゅんこさんから、
ANVERSはアントワープ@ベルギーの
ことだと教えていただきました。
ありがとうございました。

「白鳥芝朗  鹿島丸船長時代」
という書き込みがあります。
※鹿島丸は日本郵船の欧州航路就航船舶 - 大正期
というところに説明が少しあります。


私の頭の中にあるのは、祖父母や母たちの会話の断片ばかりですが、手許に残った僅かな資
料と記憶を頼りに、これから少し昔の事を調べてみるのもおもしろいかな...と今思っています。
by kadoorie-ave | 2006-09-13 16:53
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